校友スポットライト

vol.448(発行日: 2022年8月5日)

校友スポットライトでは、最前線で活躍する校友を紹介。
お仕事のことをはじめ、私生活や学生時代のエピソードなどをお聞きします。

大阪工業大学 工学部 電気工学科 1990年卒業

CMディレクター・作曲家

杜若 清司

さん

♪さ~らりとした梅酒~、♪家電のことならエディオン!などをはじめ、誰もが見たこと、聞いたことのあるCMの数々を手がけてこられた杜若さん。幼少期にはいつも何かを叩いてドラマーの真似事をしていたという早熟さ!音楽のエリートコースを歩まれたかと思いきや、挫折と紆余曲折を繰り返して今があるという杜若さんの半生をお話いただきました。

理想の音楽環境を追い求め、逃げられ続けた日々

物心つく前から何かを叩いて音を出すのが好きで、幼稚園の時に見たマーチングバンドの小太鼓演奏に憧れ、7歳の誕生日にドラムスティックを買ってもらう。しかしクラブ活動ができる学年になった時、マンモス校だった小学校が分離してブラスバンド部のない分校に。やむなくこの時は電話帳にガムテープを巻いて練習したとか。中学校は新設校で、指導者不在のためブラスバンド部はなし。段ボールでドラムセットを自作して裏庭で叩く日々を送る。高校こそはと思ったが、なまじ成績が良かったため推薦入学を勧められ、結局入学したのはブラスバンド部が万年最下位の学校。そのおかげで、ドラムは自由に練習できたそうだ。
「大阪工大の電気工学科には推薦で受かってしまい(笑)、軽音楽部に入部。やりたかったジャズのできる人はいなかったが、部室も設備も充実していたので練習し放題だった」と杜若さん。3年生までに卒業に必要な単位はほぼ取得し、空いた時間は音楽に費やす。ハードロック、ポップス、パンクなどいろんなジャンルのバンドを掛け持ちしてドラムを叩き、「城北祭ではバンドを掛け持ちしすぎて、ほぼずっとステージにいました」と笑った。

ロジカル思考を活かした曲作りが開花

音楽とバンドに明け暮れていたが、大学の授業はロジカルで楽しいと感じていた理系脳の持ち主。音楽には情緒的な感性も必要だが、秩序やルールに基づいてテンポを合わせる数字の組み立てや構成力も重要な要素で、授業の内容は曲作りに大いに役に立ったという。また、専門科目以外にも人文や国文、哲学など、興味が湧いたものは片っ端から受けたそう。実は在学中にスタジオ入りしてドラマーとして演奏したり、様々な曲作りに携わっており、4年生の頃にはスタジオドラマーとして契約の話も来ていた。ドラマーになるか、企業に就職するか、研究室の増田先生に相談したところ「音楽は今でないといけないのか。4年間で学んだことを活かす就職は今しかできないのでは」と言われ、働きながら趣味でドラムを続けていこうと決意。地元の京都に本社があるローム株式会社に就職し、ICユニットの設計などに携わりながら社会人としての基礎を身につけたという。

これまでの人生に無駄なし
そして新しい世界へと羽ばたく

入社4年目の頃、ロームにCM制作専門プロダクションの子会社ができ、転籍を希望。給料も下がり、プロデューサーと2人しかいない状況で現場に入り、カメラや映像、編集の世界を必死で学びながらCMを作り続けた。チョーヤの新製品のCM依頼が入った時、作った曲そのものはお蔵入りになったが、歌が良かったからと声が掛かったのをきっかけに、次々とオファーが入るようになる。30歳を過ぎた頃には監督や演出も手掛け、37歳でフリーとして独立。今にして思えば、子供の頃にやりたい音楽ができなかったことも、音大に入らず、大阪工大で電気工学を学んだことも、電子系の会社に就職したことも、CMプロダクションで映像の世界を学んだことも、すべての辻褄が合って今の自分に集約され、今の仕事があるのだという。そして「これからまだ新しい大きな世界が広がっていくような『予感』がするんです」と悪戯っぽく笑う。

私たちの目に、耳に、ずっと残る杜若さんの新しい映像と音楽の世界が、ふと見えたような気がした。