
vol.442(発行日: 2019年9月24日)
校友スポットライトでは、最前線で活躍する校友を紹介。
現在のお仕事のことをはじめ、私生活や学生時代のエピソードなどをお聞きしました。
大阪工業大学 建築学科・1971年卒業
山一木材株式会社
代表取締役
熊谷 國次
さん

大学で建築のいろはを学び、大阪の総合建設会社に勤めた後、香川県丸亀市綾歌町へ帰郷した熊谷國次さん。材木店の2代目として多くの人に本当の木の良さを伝えようと、木々に囲まれたカフェの運営も手掛けるなど、粉骨砕身している姿に迫った。

家業を継ぐと決め大阪工業大学へ進学
まるで妖精が棲んでいるかのような森の中。丸亀の市街地から車で約30分の場所に山一木材株式会社はある。戦後すぐの1945年にこの地の近くで創業し、35年前に現在の場所へ移転した。熊谷さんが、父の故・金四郎さんの後を継ぐと決心したのは高校生のとき。迷うことなく志望校の大阪工業大学建築学科へ。「建築の歴史を学びたい人はこういう勉強を、構造を学びたい人はこういう勉強を、という指針を示してくれた」と振り返る。卒業論文のテーマは都市計画について。「材木店の仕事とは全然違う分野だけれど」と苦笑い。卒業後は大阪の総合建設会社に6年間勤めた。入社してから、初めて知った施工図の存在。それまでは設計図のみで家が完成するものだと思っていたという。施工図を担当したおかげで良い設計ができ、ほかにも仕事に役立つ多くのことを教えてもらい感謝の念が尽きないと話す熊谷さん。当時の仲間と時々集まる同窓会は、ほぼ休みのない生活の中で、貴重な息抜きになっている。
本当に良い木を使う信念は曲げられない
山一木材へ入りたての頃は、従業員に仕事の仕方を聞き、現場に行って確かめ、本を参考に学んできた。「建物で一番多いのは住宅で、その大半は木造。でも入社するまで木造については教わらなかった。だから必死で」。父親は背中を見せて覚えさせる指導法だったという。無垢・自然乾燥・高齢樹にこだわった住宅用木材の製材と販売を手がけている山一木材。しかし近年は、木が乾燥する過程で歪みが出ない人工乾燥材や細かい木を接着剤で貼り合わせて作る集成材が住宅に使われるのが主流になってきた。コストは抑えられるが、会社の方向性とは異なるものだ。熊谷さんは「アレルギーは食べ物や花粉、排気ガスが影響するとされているが、おそらく住宅環境も関わっている。だから本当に良い木を使った家を造りたい。信頼する大工や工務店と協力し、企画力、技術力も兼ね備えた提案をして」と熱く語る。上質な木の魅力と熊谷さんの信念は施主に届き、うれしい声も続々と。「手の荒れが治まった」「娘からは木の香りがする」といった報告だ。

新たな展開を生むKITOKURAS
10年ほど前、「〝ほんまもんの木〟を使う人が増えりゃせんじゃろか」と編み出したのが、木と暮らす心地良さを伝える「KITOKURAS」。材木店に併設する敷地には、ギャラリーや図書室、木製雑貨や家具を扱う店、カフェ、木でできた遊具などが並ぶ。3代目の長女・有記さんと共に考え、作り上げてきた。木の香りが漂い、癒やされる空間には各地から訪れる人が絶えない。実はまだ、進化している途中。カフェから望むヒノキの木立と池の水面の風景が「四国八十八景」に選定されているが、それ以外に2カ所、整備を進めている絵画のような景観がある。そして新たな企画も。箸やバターナイフを作るワークショップの後に、なるべく添加物を使わずに地元食材を調理したランチを始める予定だ。「食の安全も住の安全も大事だから」。それからもう一つ。自身の出身校、丸亀市立栗熊小学校に机と椅子を寄贈した。スギ、ヒノキ、サクラ、ケヤキ、クリの5種類の木材を使用したのは、樹木の違いが分かれば愛着が湧くのではないかという思いからだ。ほんまもんの木の発信は続いていく。
