校友スポットライト

vol.441(発行日: 2019年3月5日)

校友スポットライトでは、最前線で活躍する校友を紹介。
お仕事のことをはじめ、私生活や学生時代のエピソードなどをお聞きしました。

大阪工業大学 機械工学科・昭和38年卒業

五島市世界遺産登録推進協議会長
旧奈留町長

岩村 進

さん

多士済々な大阪工業大学OBの中でも、首長まで務めた人はそういないだろう。長崎県の旧奈留町長、2004年の合併後は五島市副市長を歴任し、さらに2018年に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の推進活動では五島市の中心的役割を担った岩村進さんに、これまでの歩みを聞いた。

紆余曲折の世界遺産登録
ぶれない心で力を尽くす

「世界遺産登録が決まったときは、やっぱりうれしかったですね。正直ほっとした、という気落ちもあります」。官民の団体でつくる「五島市世界遺産登録推進協議会」の会長として、悲願を達成した岩村さんは満面の笑みをみせた。長崎県や熊本県の一部を舞台に、2009年に始まった世界遺産登録運動。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)へ提出した申請書を国がいったん取り下げるなど紆余曲折もあったが、岩村さんは世界遺産候補の一部構成資産を抱えていた五島市のリーダーとして住民の機運醸成や広報活動に取り組み、足場固めに尽力。「だめだと思ったことは一度もなかった」と、ぶれない心で市民を強力にけん引し、世論を盛り上げてきた功績がある。

国指定重要文化財「江上天主堂」。
歴史的にも価値が高い木造教会堂

プラント建設会社勤務を経て旧奈留町長に転身

九州の西端で、東シナ海に浮かぶ長崎県・五島列島の離島、奈留島の出身。長崎市内の高校を卒業した後、いったん島に戻り役場に就職したが3年後、大阪工業大学に進学。卒業と同時に、学生時代にアルバイトをしていた関西の各種プラント建設会社に就職した。その会社で役員まで上り詰めたが、縁あってふるさと奈留の事業を手掛けたことを機に、地元の有力者に請われる形で定年を前に旧奈留町長選に出馬。見事初当選を果たした。同町を含む6市町の新設合併により「五島市」が誕生するまで、町長職を7年(2期目の任期途中)務めた。五島市では副市長を任され、新市の一体感醸成などにも尽力した。町長在任中は、島を代表する産業である水産業や、観光業の振興で実績を残している。

生活費・学費を自ら稼いだ学生時代

学生時代、世は学生運動のまっただ中だったが「大阪工大の学生は、理系ということもあってか黙々と勉強する人が多かった」と振り返る。岩村さんも「理系は単位を取るのも大変だったし、授業には真面目に出席していた」と模範生の一人だった様子。のちに就職するプラント関係会社でアルバイトをしながら生活費、学費を稼ぐ日々を送ったが「大変だとは思わなかった」ときっぱり。学友らの進路は、土木・建設会社が多かったといい、卒業後も長年付き合いがあった友人もいるという。

長崎県立奈留高等学校愛唱歌「瞳を閉じて」歌碑。ユーミンこと荒井由実氏(当時)作詞作曲で今も尚歌い継がれている

世界遺産登録を島活性化の起爆剤に

世界遺産登録が実現し、登録推進協議会長の職も大きな節目を迎える形となったが「これで終わりではない。今後は、世界遺産を活かしたさらなる地域活性化策が必要」と、まだまだ意欲が衰える気配はない。「交流人口をいかに増やすかが非常に大切。宿泊施設、ガイド、交通アクセス、食事など、強化すべき分野はまだまだある。観光客も増えているが、一過性であってはならない」と力を込める。私生活では趣味で絵を描くが、体を動かすのも好きでゴルフはシングルと玄人はだしの腕前。最近は健康づくりのため、グラウンドゴルフで汗を流す。五島市は、古くは大陸に渡った遣唐使の寄港地だったことでも知られるほか、江戸時代には禁教による弾圧を逃れ多くのカトリックが本土から移住した歴史ロマンあふれる土地。岩村さんは「大学OBOGのみなさんにも、ぜひ一度、歴史ある五島に足を運んでほしいと思います」と呼びかける。