
vol.449(発行日: 2023年3月7日)
校友スポットライトでは、最前線で活躍する校友を紹介。
お仕事のことをはじめ、私生活や学生時代のエピソードなどをお聞きします。
大阪工業大学高等学校 電気科 1996年卒業
劇団四季
演出チーム レジデントディレクター
西尾 健治
さん

演劇集団として日本はもとより世界でも高い知名度を誇る『劇団四季』。西尾さんが演劇界へ身を投じることになった経緯や、俳優から指導する立場である現在のレジデントディレクターというポジションに挑む心境、未来への想いを赤裸々に語ってくれた。華やかな世界で活躍を続ける西尾さんにスポットライトを当てる。

バレエの中にロックを見い出す!?
いつも家にはオペラやバレエの音楽が流れていた芸術一家の末っ子に生まれた西尾さん。ご自身が5歳の時に三兄弟でオペラのオーディションを受けて見事全員が合格。3人揃って初舞台を踏んだ。姉はバレエ、兄はオペラに進み、西尾さんもバレエの道へ。でも中学生になるとロックに目覚めてドラムを叩き、仲間とのバンド活動に夢中に。その間、何度もバレエを辞めたいと思いながら、なぜか辞められない自分がいたと振り返る。大阪工業大学高校へ進学する際も、寺田町にあったバレエ学校に通いやすいことが決め手になった。本格的にバレエを学びながらも、バスケットボール部や柔道部の友だちとバンドを組み、文化祭のステージに立った。高校卒業後には「法村友井バレエ団」へ入団。一見かけ離れた存在に思えるバレエとロックだが、『もしベートーヴェンが今の時代にいたら、間違いなくロックでしたよ』と笑う西尾さんの言葉を聞くとすんなり腑に落ちる。
ロシアで本物にふれ遠回りしてたどり着いた道
卒業後はロシアの国立モスクワ舞踊学校へ留学。そこで目にしたのは、歴史に裏打ちされた伝統と格式、選ばれし者だけがステージに立つことを許される本物のバレエの世界。幼少期から続けてきたバレエへの自信が揺らぎ始め、自分がやってはいけないモノなのではないかとさえ思えたという。バレエを続けることへの迷いが生まれ、帰国後はバレエ団を退団。そして本格的にバンド活動を始め、インディーズでCDを出し、ロックバンドの全国大会では大阪代表として日本武道館のステージにも立つ。順風満帆な音楽の道を歩むかと思いきや、バンドはあえなく解散。そんな時、姉の友人で一緒にバレエ学校に通っていた先輩が『劇団四季』におり、西尾さんに声がかかる。バレエを離れて3年が過ぎていたが、オーディションだけでもと言われて受けてみたら見事合格。「結局、そこ(バレエ)なんだ!」と気づかされた。しかし入団した『劇団四季』はバレエの世界ではなく、演劇集団、総合芸術の世界で、「これはまるで違う!」と衝撃を受けたという。

『芸術に生きた』いつか、そう語れるように
バレエとは異なり、演劇ではセリフがあり歌も歌う。入団から約2ヶ月後の2003年8月、『オペラ座の怪人』のバレエ枠で初舞台を踏んだ西尾さんは、音楽と言葉とドラマの世界に感動し、魅了される。個人ではなく作品としての完成度を追い求める団結力、お客様に作品の感動を届けることを至上主義とする『劇団四季』の考え方は自分に合うと感じ、まるで羽が生えたように次々とステージを飾っていく。そして2018年、創立者が他界し、その想いを知るメンバーの一人として指導者に転向することを決意した。人生のターニングポイントのこの時に深く考えたのは、決して明るい家庭とはいえない中で、それでも美しい芸術の世界に親しむようバレエを続けさせてくれた母の愛情だった。「これからの若い世代に、自分の血に通っている創立者のイズム、本物が学べる演劇集団としての『劇団四季』を伝えていく」それが芸術に親しませてくれた母への恩返しになると感じた。
『芸術』とは何か。今はまだ自分の言葉で語れない。「いつか自分の人生が終わる時、『芸術に生きた』と言えたらいい」と笑う。これから西尾さんの創る『劇団四季』が、伝統と革新を備えた新しい演劇の世界を連れてくるように思えた。
